おはようございます。
10月21日(土)、快晴の朝。150回目の小咄です。よろしくお願いします。
ということで、通算150回目となりました。
書き始めて3年。感慨のようなものを感じないでもないですけど、
言ってもまだ3年、まだまだ序の口ですね。
さて、
今月に入ってから、我がまち西条はお祭り一色に包まれておりました。
同じ市内でも地域によって氏神様が異なるので開催時期に多少のズレがありますが、
だいたい10月第一週から始まって、10月18日かな、くらいまでには全日程が終了します。
今年はコロナ禍が明けて、4年ぶり?の通常開催だったので、
各地、大いに盛り上がっていたようです。
数日前に、クリーンセンターにゴミ捨てにいったら、
前に並んでる軽トラックの荷台にアルコールの空き缶が山盛り詰まれていて、
いや、実に本当にマンガみたいに山盛りにもりもりに積まれていて、
どこの自治会か知らないけど「わ~、盛り上がったんだなぁ。。。」と目を丸くしましたね。
地方の小さな地域単位のお祭りは、
その地域に住んでいる人が代々脈々と守り続けているから毎年開催されるわけで、
当然ながらその地域の住民が減っていくと、お祭りも次第と縮小、消滅していきます。
先日の愛媛新聞紙面に「ある山間部の集落では今年ついにお神輿を出すこともできなかった」
という記事が掲載されていました。ここ10年程の間に、お神輿のかき夫が揃わない都合で軽トラックの
荷台にお神輿を乗せて集落を回る光景がずいぶんと増えましたが、
それすら出来かねる、出来なかった、という内容の記事でした。
個人が職業や住む町を自由に選択できるようになってから、
(ざっと半世紀くらい前からかな?)
日本中が「人口が増える街」と「そうでない町」に色分けされるようになり、
それに応じてお祭りが維持できる街とそうでないまち、に分かれるようになりました。
自分自身も、親のおかげもあっていままで自由にやってきています。
高校からは実家を離れていましたし、
30歳手前で結果的に地元に帰って起業して自営してますが、
これはホントたまたまなことで、場合によっては、
いまでも県外で会社員をしていた可能性だって大いにあったよな、
と思っています。
個々人が、自分の能力を遺憾なく発揮できて自由に人生を送っていけることは
大変素晴らしいことですし、今後もそうあるべきだと思っています。
ただ、地域の小さなお祭りについて考えるときには、
そこに住み続ける住民が土着的にムラ社会の習わしに従い、
ある意味では伝統や風習に縛られ負担を強いられながらも連綿と繋いできたからこそ、
祭りがその土地ならではの文化となり、
結果、個人にとってもまちへの愛着の源泉であったり、
個人のアイデンティティが宿る大樹のような存在になっているのだと感じています。
逆の言い方をすれば、個々人がその活動に専心するばかりでは、
「土地の文化」はなかなか発生も醸成もされにくいのかも知れません。
お店という単位でもそうですよね。
一店舗だけでは「商店街」にはなりえませんし、地域としての魅力向上に資するには少々ボリューム不足。
ひなのやとしても、
いまの時代これからの時代に即した「商店街」のような単店の重なり合い、
といった状態を模索していく頃合いかな、と感じています。
小咄150回目を記念しての、小さな小さな宣言にも似た、
今後への想いを記してみました。