おはようございます。東京です。
何年ぶりだろう、夜行バスに乗って上京しました。
163回目のコラム、よろしくお願いします。
ほぼ日帰りコースな今回の上京。
昨晩、自宅最寄りの壬生川駅前バス停から乗車しました。
最後に夜行バスに乗ったのって、たぶん10年以上前。
その時も壬生川で乗って、ひと眠りして起きたらまだ県内を走っていて
愕然とした記憶があります。
そんな記憶もあって、若干恐る恐るの乗車だったのですが、
今回はわりとすんなり朝を迎えることができました。
バスが新しくなったのかな、リクライニングとかそこそこ快適でした。
普段よく使う空路は、松山空港まで行くのが面倒なので、
最寄りの壬生川駅発着できるバスとかJRとか、こっちの方が便利かも。
(ここ数年、空路はかなりの確率で遅延するから待つのに疲れるのです)
さて、新年度。本日は4月3日。
移動の電車の窓越しですが、都内もけっこう桜が咲いている。
地元丹原も先週末の夏を思わせるような暑さもあって、一気に満開。
春ですね。入社式のニュースなんかも見かけて、
否が応にも、その当時のことを思い出したりしています。
昨日、地元のミニコミ誌の取材を受けたのですが、
創業前の学生時代や社会人の頃のことも少しだけ話させて頂いたのですが、
いろーんな出会いやら別れやら紆余曲折を経ながら時間がながれて、
2024年の4月3日の朝は、都内で打ち合わせまでの時間つぶしに、
外苑近くのカフェでコラム書いてる。
先週のコラムで少しご紹介した、ひなのや丹原の桜の古木。
昨日、数輪の桜が咲いていました。つぼみも膨らんでました。
時間の流れは止められないから、我々も流れ続けていくしかないけど、
この先もいろいろなことがあるんだろうな。
新年度、楽しみです。
ぼちぼち書けたのでオンラインにしたくて
カフェの店員さんにwifiパスワードを訪ねたら、とても素敵な笑顔で教えてくれました。
今日はいい一日の始まりです。ありがとうございます!
3月も残り一週間となりました。
年度末、ですね。162回目の小咄よろしくお願いします。
ということで、今年もいよいよ年度末。
卒業やら入学やら、異動やら世の中的に節目の季節となりました。
ひなのや的には、年度末だからといって何かしら異動があったり
新しく仲間が入ってくるような業容ではないので、
いつもの月末とさして変わりがないといえばないのですが、
今年の4月は、ひとつ大きな節目を迎えることとなります。
昨秋から改修工事を行ってきた丹原製造所の工事が、まもなく終わります。
現状、「ひなのや丹原製造所」という名前で製造業務だけを行っており、
対外的には閉じられた場所となっておりましたが、
改修工事後は店舗も併設しますので、外に開かれた空間となります。
お客さまを、ようやくお迎えすることができます。
4月20日(土)にオープンします。
また、営業時間だったりお店の内容だったりは、
公式インスタグラム等でお知らせしていきますので今しばらくお待ちくださいませ。
創業の地である「丹原」でようやくお店をリスタートできる安堵感。
そう、新しくできる場所への期待感とか高揚感よりは、
とにかく安堵感を感じています。
本来かくあるべき、こと・もの・場所。
「かくあるべき」なんて書いてみましたが、
そもそもひなのや事業自体がが個人的で恣意的なものですからね、
何が「かくあるべきか」なんてあって無いようなものなのですが、
それでも、やっと本来の「かくあるべき姿」に戻れるかな、
という安堵感があります。
丹原の古民家でポン菓子作り始めて、
なんとなく売れ始めて、週2で古民家店舗あけるようになり、
壬生川駅前店をはじめたり、松山にお店を構えてみたり。
月並みですけど、いいこともそうでもないことも沢山ありましたが、
たくさんの方の協力やご厚意に支えて頂きながら、
創業の地で再びお客さまをお迎えできることをうれしく感じております。
丹原の古民家の前庭には古い桜の木が一本あります。
品種名がわかってないのですが、
ソメイヨシノとかではなく、花びらの白い古い桜の木です。
樹勢はどちらかといえば年相応に控えめでしょうか。
でも、毎年ゴールデンウィーク前くらいに咲く、遅咲きの桜です。
みなさまにその桜をご覧いただける日がとても楽しみです。
浅草に来ております。
161回目の小咄は東京にて。どうぞよろしくお願いします。
手紙社さん主催の「紙博in東京vol.8」。
東京開催については、vol.6から3回続けて出店させて頂いております。
お客さんの紙博に対する熱気がどんどん増しているためでしょうか。
回を追うごとに、開場時間が早まっているような気がします。
今回は、予定9時に対して40分前倒しの8時20分開場でした。
朝礼は8時から。小学校のホームルームくらいのノリですね。
紙博の朝は早い。そして東京の朝も早い、といつも思います。
コーヒースタンドとかパン屋さんとか、わりと7時くらいから普通に開いてますもんね。
地元丹原だと朝開いてるお店なんてほぼないもんね。
この辺はやっぱり働き方とか、生活者のライフスタイルの違いによるものなのかな。
昔ほどではないけれど、地元だと家族構成だったり働く場所や就業時間なんかが、
おしなべて似通ってるところがありますよね。
ホントざっくりもいいとこですが、
丹原あたりの就業先って、沿岸部の工業地帯/公務員/農家、
この3つくらいに分類できそうな気がしますもんね。
実に実に乱暴な仕訳ではあるけれど。
そして、その3つの隙間を縫うように商店主(我々)が存在しているような感じ。
だから子どもの頃に薄々と感じていた町の閉塞感や物足りさななんかは、
こうしたある種の働き方の画一性に起因していたのかなー、なんて。
さいきんは農村部の働き方なんかも半農半✕(エックス)なんかが勧められたりしてるし、
会社に勤めていても副業が認められたり、オンライン環境の発達でどこにいても、
どこででも働けるようになったりもしてますからね、
地方でもだいぶん「抜け感」はやり方次第で何とかなるような時代にはなってきたやに思います。
でも、どうしても町を形作る町並みというものは、
なかなかオンライン環境のように常にリフレッシュを繰り返し活性化していかないんですよね。
「リアル」に場所やモノを作ってアクティブを維持するのはなかなかにハードルが高い。
だからいつまで経っても丹原町には、
朝7時から開いてる気の利いたカフェなんかはできないんだろうなぁ。
(あくまで比喩としての7amカフェですけどね)
これ、田舎のないものねだりを言ってるわけではなくて、
純粋に生活者目線で「やっぱり町はアクティブな方が楽しいよね」という話です。
別に、丹原に都会みたいな町並みが欲しいわけではない。
「丹原なりの、アクティブな町並み」
来月から丹原でお店を再開させるからか、この辺の話題を強く意識する時間が増えています。
浅草はよそ者がたくさん集まる観光地でもあり、
と同時に、昔からの生活者が地場の営み(産業)を連綿とつないでいる町でもある。
訪れるほどに、その面白みが染みてきている気がします。
何かしらのヒントを得て、これからの丹原地場のアクティビティに活かしていきたい、
そんな風に感じています。
今回で160回目を迎えるこの小文。
基本、週に一度のペースで!と意気込み書き始め、
何とかかんとかそのペースを維持しながらやってきておりましたが、
去年の12月頃からですかね、
少々タガが緩んだとでも申しましょうか、
週一ペースがガタガタと崩れ、前回159回目を書いたのは2月12日。
ムムム、ほぼ一カ月前やないかい。
ちょっとゼンマイ巻き直して、ちゃんとやろう。
160回目の小咄、よろしくお願いいたします。
ということで、
ゼンマイを巻き直さんとイカンなぁ~とはうすうすは思ってたのですが、
孟子曰く「水は低きに流れ、人は易きに流れる」
まさにその通り、ずるずるずるずると易きに流れ、ダラけておりました。
昨晩久しぶりに会った人に「ペース落ちとるね」との直接のご指摘を頂きまして、
「うん、やっぱりちゃんとやろう、見る人はやっぱ見とるな、やばいやばいっ」と思い、
本日ふたたび書き始めております。
昨日はJR高松駅の新しい商業施設「高松オルネ」へ設営と納品に行っておりました。
四国の玄関口にできる新しい商業施設。3月22日にグランドオープン。
そのオルネ1階フロアに「Shikoku meguru」という四国中の、
選りすぐり品物が一同に会した場所がオープンいたします。
ひなのやもそこの一員に。(ありがたい!)
1メートル四方くらいのスペースでひなのやコーナー作らせて頂きました。
ぜひぜひ多くの方に訪れてほしい、四国の新しい観光ターミナルです。
で、そこの設営が終わってから近くのプロントでJRのみなさんと
業者のみんなとで懇親会が催されるということで僕も参加してたのですが、
まぁ、ビュッフェ形式で大勢の人でワイワイと。
コロナ前はよくあった光景で、
「わーこういう感じ久しぶりだな~」なんてちょっと感慨に浸ってみたりして。
そんな中、6~7年ぶりかな、久しぶりにえひめの事業者仲間のT君とも会えて
いろいろ話をしていた折に、頂いたご指摘が前述のそれです。
「おぉぅ、、前回会った時も立ち話程度だったのに、数年ぶりに会っていきなりその指摘か」
と思ったかどうかは忘れましたが、忌憚なく話ができる仕事仲間いるのはいいことだと思います。
ありがとうT君、また6~7年後に会おうね。
(ざっと計算したら、6~7年後は小咄500回記念とかになるみたい。おぉ、、めでたいね)
とにもかくにも、
今回の小咄でお伝えしたかったのは、3/22は高松オルネ、グランドオープン!
ひなのやもブースを出させていただく「Shikoku meguru」フロア、
ぜひお越しくださいね!!
おはようございます。
2月12日(月)、神戸は抜けるような青空が広がっています。
本日は手紙社さん主催の「紙博in神戸}出店のため、
港町神戸に来ております。159回目の小咄、よろしくお願いいたします。
昨年から出店させて頂くようになった紙博も今回で通算3回目。
前回と前々回は浅草だったので、神戸は初めての参加です。
個人的にも久しぶりの神戸です。
当然のことですが、やはり海が近い街。
古い建物や倉庫も多く、朝すこし早めに出て散策なんかもできて楽しいです。
神戸は学生時代に就職活動でウロウロしていた思い出があって、
今回たまたまなのですが、宿泊しているホテルの隣が入社志望していた会社の本社が。
慣れないスーツきてポートライナーに揺られて何度か試験を受けにいったなぁ。
第一志望だったのに、苦労して最終面接までこぎつけたのに、
結局、直前で面接を辞退したという。。。
もちろん最終面接で落ちる可能性も十分あったわけですが、
もしあの時あのまま受けてて、もし受かってて、入社させてもらえてたとしたら。
「たられば」は言い始めるとキリがないしホント意味ないんですけど、
いろいろと思い返しては想像してしまいますね。
ちょっと無理なこじつけ感はありますけど、
なんやかんやで就職活動も「メーカー」を中心に回ってましたねー。
自社の看板のもとに、モノを作っている会社に入りたかったみたいですね。
紆余曲折はありましたけど、
いま、あの頃からなりたかった「メーカー」に(一応)なれて、
お客さまに商品をお届けできている訳ですから、
人生いろんなルートありますけど、面白いもんですね。
ということで、あと2~3分で開場するらしく、
ぼちぼちスタンバイなので今回の小咄はここまで、で。
お疲れさまです。
1月27日土曜日、15時を少し過ぎたところ。
この後16時から予定があるので、30分程度で何とか書けるかな。
158回目の小咄です。よろしくお願いします。
先日、徳島県神山町にある「かま屋」という食堂に行ってきました。
高速に乗り、四国中央ジャンクションから徳島道へ。
脇町ICで降りて、Googleナビに導かれるままに国道193号線の峠越え。
ここではグチは割愛しますが、やっぱアレですね、
グーグルのナビって「通れるか通れないか」がナビの判断基準なんですね。
初めて通った国道193号。いわゆる典型的な「酷道」でした。
あとで徳島の人に訊いたら、
「あそこはあんまり通らんね。もう少し市内よりの石井から回り込むようにいく」とのこと。
うん、次回から僕もその迂回ルートで行きたいと思います。
さて、
肝心の「かま屋」ですが、とりあえず無事に峠を越えて到着。
神山町って結構山の中なのですが、平日にも拘わらず結構賑わってる。
駐車スペースは約20台くらいかな、食堂と食品販売スペースとパン屋で構成されてる
ちょっとした道の駅のような雰囲気の空間です。
運営は、フードハブプロジェクト。
今回、神山に行ったのはそこの代表の講演会があってそれを聞くために行きました。
「育てる、つくる、食べる、つなぐ」
地域で育てられたものをその土地で料理し一緒に食べることで、
地域での「関係性」を育て、農業と食文化を次世代につないでいく。
これがフードハブプロジェクトのコンセプト。
キャッチコピーは「地産地食」。
今春から丹原でショップ運営を再開させる僕にとって、
とても興味を駆られる存在で、以前から知識としては知っていたけど
行ったことなかったし、代表の真鍋さんとも会ったことないしハナシ聞いたこともないから、
これは面白そう!と思って行ってきました。
「地産地食」というワードはね、ホント結構僕のなかで響いていて、
丹原町の豊かな風土や四季折々収穫できる農産物(特にフルーツ)を
何とか地域で商品化して、お客さまにお越しいただき、「丹原町」を楽しんでほしい、
これは、ひなのや創業の時からの純粋な起業動機なんですよね、実は。
(ひなのや始める前、半年程は地元米でおにぎり作ったりフルーツ大福を作ったりしてました)
その後、いろいろ紆余曲折あって「丹原」よりも「ひなのや」という商いのブランド化に
わりと注力する時間が長く続きましたが、この春からのようやくの原点回帰。
かま屋で食べたランチのことや、講演会での内容とか、
なかなか時間的にいまここで全てカバーするのは難しいので、
個人的に一番に印象に残ったポイントだけを書き記します。
「地産地食」。
言葉としてはとてもきれいで理想的だけど、
ローカルな神山町だけだとどうしてもマーケットは小さいし、
小さいってことは農家さんや食堂にしても食っていけるほどの売上も立られない。
で、実際フードハブプロジェクトとしても地域外(東京など)への流通も図っている訳で。
講演会に参加していた農家さんが質問したんですが、
一見、矛盾も感じられるような「地産地食」ですが、
将来的な着地点はどんな状態をイメージしているのか、と質問されました(いい質問!)。
それに対する、代表の真鍋さんの答え。
「商いのスキームとしての地産地食ではなくて、
考え方としての「地産地食」の習慣化を目指しています。」
これは、モノを作ることができるという地域の可能性(農地、水資源、山林資源等)を
しっかりと捉え、知恵を絞り、付加価値をつけて、いまの暮らしへ還元していくこと。
単に、無いものはAmazonで調達すればいいじゃないか、という思考から、
地元で作れるものは作って、その付加価値の輪を少しずつ広げていこう、
というようなことを言われていたと記憶しています。
講演会終わってから名刺交換だけさせてもらおーと思って、
真鍋さんにお声がけし、名刺を出したら、
「あ、ひなのやさん。ぼく昔丹原の古民家のお店に行ってその時も名刺交換しましたよ!」
との第一声。
くぅー、マジか。
フードハブが設立される以前に、まさか来てくれていたなんて。
うれしいやら恥ずかしいやら色んな感情が入り乱れて、、
んーーー、とても刺激的な一日となりました。
またね、丹原に遊びに来て頂けるように。
なんらか、フードハブとの地域間連携(人的交流でもいいや)とかね、
近い将来のいろいろな可能性にも思いを馳せて。面白くしたいですね!
おはようございます。
1月21日(日)、西条はほんのり霧雨な雲に覆われた空模様です。
2024年最初の小咄、157回目です。よろしくお願いいたします。
年が明けて一月ももう下旬ですね。
昨年末の繁忙モードから何とか年末年始休暇にこぎつき、
ようやくひと息と思った矢先の地震や事故。
実は当日北陸におりまして、結構しっかり揺られました。怖かった。
心整う間もなく、バタバタとスタートしている2024年。
被災地の方々を思うと、バタバタだろうが何だろうが、
スタートを切れているだけで実にありがたいことだと思います。
世の中の大きなインシデントに対して、出来ることは限られますが、
だからこそ、出来ることは今年もしっかり、ちゃんとやっていきたいと思います。
今年、2024年は9年ぶりになるのかな、丹原の古民家でお店を再開します。
当初予定では昨年末には再開してるハズだったのですが、
いろいろと調整がつかないことが多くて、ひとつ季節が進んで今年の春の再オープンとなる見込み。
小さなお店です。お茶とソフトクリームくらいのご提供となると思います。
創業地の丹原で、丹原らしい、ひなのやらしい時間や雰囲気を共有したいと思っています。
ここに至るまでに、ずいぶんとたくさんの時間考えました。
ひなのやらしさって何だろう、丹原らしさってなんだろう、
そうした会社や町のアイデンティティの上に、お店という新しい空間を構築することによって、
それぞれの未来にどんな可能性を見出していけるのだろう。
そんなことばかりをずいぶんずいぶん考えました。いまでもまだ考え続けています。
先日、小中学校で一緒だった友人(都内在住)が久しぶりに連絡をくれて
今年丹原で店を再開させるハナシも少ししました。
その時に言われたのが、「今後、ますます(丹原は)人が減るのに商売になるんかな」的なこと。
(まぁ、少し心配してくれてるんだと思います。ありがたいね。)
たしかにその指摘は正しくて、
数字が成立しないと商いにしろ生活にしろ、うまく続けていく事はできません。
けど、「商いや営みの存在意義」は数字の多寡だけで計られるものではありません。
(もしそうであれば、東京と大企業以外全部オワコンだ)
春に丹原で再開させるお店は、そんな二律背反を検証する社会実験の場所なのかな。
そんな感覚で準備を進めているところです。
ひなのやらしさとか、丹原らしさは、
そんな検証をお客さまや仕事仲間やご近所さんと重ねて行く先に見えてくるのかな。
もちろん、東京や大企業といった人たちとも重ねていきたい、重ねるべき大事な要素。
2024年、再スタートの年。面白くなりそうです。
昨日、29日に大掃除を終え、ひなのやは2023年の営業を終了しました。
明けて30日の朝。肩の荷が下りたように、穏やかな時間を過ごしております。
156回目の小咄、よろしくお願いいたします。
師走の清水寺では、毎年「今年の漢字」が発表されますが(確か今年は「税」でしたね)、
ひなのや的に振り返った時に思いつくのは「回帰」とか「原点」とか、
そういう「元に戻りました」的なニュアンスの漢字でした。なので「元」が今年の漢字。
一年前の昨日29日は4年間営業した松山店の最終営業日でした。
あれから一年、松山に通うことがなくなりほとんどの時間を地元丹原壬生川界隈で過ごしました。
毎日の往復2時間の時間が浮いて、その分ゆとりができました。
朝、丹原の製造所をマメに掃除する時間が増えました。庭の草刈りも去年よりもよくやった。
書類の整理とか種々の片付けも例年よりちゃんとやれたかなと思います。
瀬戸内圏域の地域ブランドになりたいな~と思って、
拡大的思考の中でやっぱり県都松山に一店舗はお店出したいよね、
ということでチャレンジした4年間。得たものも多かったですけど、結構しんどい4年間でした。
「瀬戸内圏域での地域ブランドになりたいな」という意思は
いまも微塵も変わってないですけど、そうなるためのやり方とか、
ひなのやらしさとかもっといいカタチのやり方が他にあるんだろうなと考え続けたこの一年。
そうした思考がベースにあって、その上での新たな取り組み、丹原製造所の再整備。
当初の計画よりだいぶスケジュールが押してしまっている現状ですが、
押した分だけいろいろと思考を重ねることができていると前向きに捉えています。
人口が減って、巷間いろいろな業種で担い手不足が顕著になり始め、
例えば農家さんなんかもどんどん減るから目に見えて耕作放棄地が増えてきてるし。
世界では戦争が常態化しつつあるせいで、海外からの資源調達も難しくなってきているし。
経営環境、けっこうマジで厳しい時代になってきている中で、
いまでもひなのやを続けていられることは実にありがたいことですし、
こうして無事になんとか年末の休暇を迎えることができて本当にホッとしています。
改めてひなのやに関わってくれている全ての人にありがとう!と大きな声でお伝えしたいです。
来年は丹原製造所を再整備して、新たにお客様をお迎えできるようにがんばりたい。
元々は丹原で週二日営業とかで始めたお店ですからね。
もっと言うと原料のお米も自分で作ってましたもんね。
成長するために変化することも大事だけど、
成長するために元に戻るっていう選択肢もたぶん全然アリなんじゃないかなって思ってます。
来年も再来年も(などと先のことをいうと鬼が大爆笑するらしいが)、
この風土の中でひなのやを続けていきたいなと思っているので、
丹原で再びお店を始める2024年は、とても大事な一年になると感じています。
元々、描いていた夢や未来。来年は「元に戻るための」チャレンジの一年、って感じでしょうか。
創業15年目の「元通り」。それは一年目の「元」とは、きっと異なる元通り。
来年もがんばろう。
今年も一年、ありがとうございました。どうぞよい新年をお迎えくださいませ。
12月17日(日)、時刻は13:30を過ぎた頃です。
3週間ぶりの更新になるのかな、155回目の小咄よろしくお願いします。
今日は粉雪舞う非常に寒さ厳しい一日となっております。
まぁ12月も半ばですからね、ホワイトクリスマス云々本番直前、
雪くらい降ってるくらいが、季節感もあってちょうどよいのでしょう。
おかげさまで先月末から年末繁忙突入で、毎日毎日スタッフ一丸となって突き進んでおります。
努めて深く息するよう意識はすれども、なかなかにハードワークで余裕なし子な毎日です。
このまま何とかクリスマスを乗り越えて、
年末の店舗営業をこなしきり(今年は28日最終営業日です)、翌29日に大掃除。
そして、帰省ラッシュで混み合う高速道路に身を投じ、
這う這うの体でお正月にたどり着き、
1~2日の小休止を得て、そしてテープを巻き戻すかの如く、
高速道路経由で日常生活に舞い戻る(新年もがんばろー)。
自分で書いててナンですが、これはきっと疲れているせいです。
脳内が愚痴に支配されていて、全体的に文体が荒れている。
昨夜気晴らしにと視聴したアマゾンプライム。
舞台は常夏の国バハマ。きらきらと輝く太陽の光、燦然と目に焼き付く美しい海や熱帯魚、
そしてダイビングに興じるジェシカアルバのしなやかな健康美。
うーん、、、そちら側の住人に、な・り・た・いぃ~~~。
納期なんかと戯れずに小魚とキャッキャと遊んでいたい。
とまぁ、負のオーラを思いつくまま吐き出してみました。
少しだけスッキリしたような気がします。
また来週の小咄の枠でねもう少しちゃんと振り返りをしたいと思っていますが、
今年は何というか、体制立て直しの一年でしたね。
松山店閉めて、新しく丹原の改装に着手して。
丹原の件は、本来当初予定ではぼちぼち開店予定だったんですけどね、
まっっったく思い通りに進まなさ過ぎて、本当にやきもきしましたけど(いまもしています)、
その分いろいろと考える時間も取れて、考えるほどに悩んじゃって分からなくなって。
自分のやりたいこと、本来こうあるべき姿、みたいなものを意識するほどに限界感じちゃって、
どんどん自信を失っていっていた時期もありましたねー。
そんな気持ちの変遷も経て、来年は新しい体制を具現化する年とするわけで。
目の前の年末繁忙も抜かりなく、少し先のこともしっかりと。
いまは努めてがんばるタイミング。
寒さに負けずにがんばろー。
おはようございます。
11月26日(日)、西条はキリっと冷え込む冬の朝です。
154回目の小咄です。よろしくお願いします。
本日は、11月26日、語呂合わせで「いいふろ」の日。
近所にある東予温泉は、今日だけ大人750→500円、子どもは200円のサービスデイのようです。
日曜早朝から温泉でゆっくりとか、すばらしいですね。
温泉の熱をもらってカラダを芯からあたためて、汗も流して老廃物とか排出して、
温泉大国日本に生まれてよかったなぁと実感する瞬間です。
とはいえ、温泉によく行くようになったのは40歳頃からで、
月並みなハナシですけど、経年変化というやつですね。趣味嗜好の変化。
昔はうどんばっかだったけど、蕎麦も美味しくなったお年頃。
日々、弊壬生川店でお客さんの動向を見ていて気付いたことがあるんですが、
4~5年前に比べて「ポン菓子の加工サービス」を利用するお客さんが減ったような気がするんですよね。
「気がする」のなら単に売上分析すればいいハナシで、そう、実際減ってるんですけど、
問題はその原因がなんなのか、ということ。
コレ、推測の域を出てないしまぁまぁ不謹慎な推測かもなのですが、
「ポン菓子の加工サービス」を知ってる世代の方がいよいよ亡くなり始めたり、
クルマの免許を返納したとかで来店することができなくなった、のが原因ではないかと思うのです。
前出のような「趣味嗜好の変化」でポン菓子利用が減ることは考えにくいですからね。
こういっちゃなんですが、ポン菓子って若いころはよく食べたとか年取ってから好きになったとか、
それはあんまりナイと思うんですよね。食べる人は食べるけど食べない人は全く食べない、
いや、もう少し正確に言うと、食べる機会がある人は食べるけど、
その機会がない人はそもそもの選択の俎上にポン菓子がないんだと思っています。
だから、「自宅のお米をポン菓子屋に持って行って膨らませてもらう」という行為が、
その人がそれまでの人生で出会ったことがあるかどうか、がポイントなんだろなと。
たぶんね、いま75歳前後の人がぎりぎりポン菓子加工世代なんだと思います。
なので、つーまーりー、
このままボケっとしてたら「ポン菓子加工サービス」はたぶん消滅するやつですね。
ポン菓子加工サービスって11月に入った頃が一年で一番ニーズが高まる商品なんです。
その理由は、「新米が出てきたから去年の残った古いお米をポン菓子にでもしてやるか」という
心理が働くから。主に農家さんの食卓で発生する季節需要なんですよね。
ゆえに、そもそも農家さん自体の軒数も減ってきているから余計に減ってるんでしょうね。
自宅のお米と砂糖をポン菓子屋に持っていったら、
大きな袋にいーっぱいのポン菓子になって帰ってくるんだよ^^
おうちでも食べるけど、ご近所さんとか友達に配ってもとても喜ばれるんだよっ
というささやかながらも心温まるおやつの処方箋を、
いまいちどしっかりお伝えしないといけない時代に、いよいよ突入したな!と
実感している2023初冬。さいきん俄かに耕作放棄地のことや農業の担い手についても
気になり始めているので、何かと相関的にやれることはまだまだたくさんあるよね、うんうん。