
年が明けて一週間。みなさま、だいぶ日常のリズムが戻ってきた頃でしょうか。
2021年のひなのやは1月5日よりスタートしました。
おかげさまでスタッフみな、年末年始も健康に家族と過ごせたようで、
何事もなく仕事始めを迎えることができました。ありがとうございます。
ふだんの製造風景、いつもの店内風景、あぁ気だるくも愛おしき普段の暮らし、、、。
などと感慨に浸る間もなく、緊急事態宣言「再発出」ですね。うーん、如何ともし難い。
そんなこんなで、
年が明けても正直心の中はまだ靄がかかったような状態が続いています。
先行きが不透明で、なかなか心機一転エヘヘのウフフで前向きゴーゴー!みたいないつも(?)のテンションになれなくて、ついつい余計なことを考えてしまいます。
とはいえ、
いつまでもグズグズ言ってられないよなぁと思っていた矢先、
記憶に蘇ったのが中学一年の冬。部活動の冬季練習の光景です。
当時、陸上競技をやっていて、中長距離ブロックに属していた僕は、ただただひたすらに走っていました。冬休みに参加した県合宿。朝4時に起こされて、バナナ2本食べた後、まだ日が昇らない真っ暗な闇のなかを、後ろから迫ってくる監督の車のヘッドライトに照らされながらひた走る。筋肉痛がひどすぎて、サロメチールを全身に塗りたくり無駄にエアサロを吹き散らしながらも、ただ「走ること」に集中したあの季節。
カムアゲイン、中1の冬!
自分の脚を動かすのはほかの誰でもない、自分だけ!
(決して後ろから迫ってくる監督のランクルではない。それにそんな人はもういない)
シンプルにシンプルに、前をしっかり見て、両の脚を交互に繰り返し動かす。ただ、それだけ。
新年、あけましておめでとうございます。
今年もひなのやを、どうぞよろしくお願い申し上げます。
2020年9月9日から書き始めたコラムも今回で16回目。年内最後の更新です。
コラム始めてから更新日の金曜日が来るのがやけに早くなったような気がします。
次回更新は2021年1月8日(金)予定。元旦はお休み。
さて、
今年は兎にも角にも、やはりコロナでしょうか。
コロナに受けた影響が非常に大きい一年でした。経営的にも大きかったですし、事業を進めていく上でのマインドにも非常に大きな影響を受けました。
目先、売上が急激に下がったことは(もちろん)大変な衝撃でしたが、それと同等あるいはそれ以上にショックだったことは、人の活動が制限されたことによって、自然環境が改善方向に向かったことです。
こうなること、コロナ以前から知識としては知ってはいましたけど(例えば、Co2排出→温暖化)、ホントにそうなるとちょっとね、ショックでした。
売上はね、やっぱり上げていきたいです。会社という法人は、売上を立てて利益という食糧を食べて成長していくものです。成長はしたいです。せっかく生まれたんですから。
でも、大きく成長していくためには、自然界から資源をどんどんどんどん吸い上げて、熱を出しながら加工して、売上に変えて、市中でたくさん消費してもらう必要があります。「モノ」を作る仕事をする限り、このプロセスは避けて通れない。
言わずもがな、自然資源は有限です。ひなのやのある西条市は西日本最高峰「石鎚山」が貯めこんだ水資源が伏流水となって地表に現れ、僕らの暮らしに多大な恵みをもたらしてくれています。良質な水資源があるから良質なお米がとれて、美味しくて素敵で多くの人に愛されている(←ここ、非常に大事です)ポン菓子を作ることができています。そのおかげで従業員一同、生活することができています。
コロナ禍は一刻も早く、過去の惨事として過ぎ去ってほしい。
以前と同じようにあちこちGoToしたい。
でも、コロナ以前と同じような「知識としては知っているけど」のレベルに戻ったのではいかんよね、と、おそらく大多数の人が気付いているハズ、思っているハズ。
次の時代に過去を振り返った時、「2020年が契機になったね」と笑顔で語られているように。
ザ・極小零細企業「ひなのや」、できることはたかがしれていますが、「今年の経験」をしっかり加味して2021年もがんばります!
みなさま、メリークリスマス!そして年末年始、くれぐれもくれぐれもご自愛のほどを。
僕はほとんど聴かない人だったんですが、
2年前に松山店ができてからはその通勤時間によく聞くようになりました。
クルマで片道約1時間の道のり。
往きよりは帰りに聴くことが多くて、仕事を終えてホッとしながら家に着くまでのひとり時間。
あえて番組名は伏せますが、地元で有名な還暦手前のおじさんDJがやってるローカル番組を聴いています。
そのおじさんDJはわりと自由な雰囲気で番組進行されていて、
メッセージ内容によってはリスナーのことをボ〇クソにこき下ろしますし、
還暦手前なのに小学男子みたいに「ウ〇コ!」とか叫んで笑ってますし、
それらに加えて必ず下〇タを一定のリズムで差し込んできます。
そしてそれらの間隙を縫ってマトモでええことも言っています。
つまり、気負いなく楽しく聴けて気がラクになる番組、そんな感じでしょうか。
その番組が、昨日12月17日に放送5000回を迎えました。
聞くと「その日メッセージが読まれたらオリジナル記念ステッカーがもらえる」とのこと。
その日は記念回なので朝7:30から夜10時までのロングラン放送。一日逡巡したのち、
放送終了20分前に初メッセージ。そして、終了5分前に読まれるという奇跡(ミラクル!)。
久しぶりに手に汗握りました。
送ったメッセージは以下の通り
「ラジオってほかのメディアよりも身近に感じます。
5000回も身近に寄り添い続けたことってマジですごいと思います。」(どうです?この真面目メッセージ)
それに対する、おじさんDJの回答。
「たぶん…あんまり寄り添ってこなかったのがよかったんやと思います」
2020年も残すところあとわずか。
今年も一年、「いかにしてお客さま、お取引先さま、従業員に寄り添う存在になれるか」
みたいなことを考えながら時間を送ってきた年の瀬にこのオチですよ。しびれました。
あんまり人の意見に影響受けすぎるのもどうかと思いますが、
「どうしたら寄り添えるか~」なんて考えるより、
「自分らしさ」全開でお構いなしにやり続けることが長く続く秘訣なのかもしれない。
その方が楽しそう。楽しいと人が集まってきますもんね。
僕も、そろそろ「ウ〇コ!」とか叫んでみましょうかね。わはは。
追記
こんな内容をわざわざ文字で残してええんやろか。
ラジオのええとこは言いっぱなしで消えるところ。文字通りON AIR。
「コラム」を始めたつもりがだんだんと「日記」になってきたような気がしないでもないですが、
決してネタ切れの苦し紛れではないのであしからず。今年のコラムも残すところあと一回。〆
弊壬生川駅前店では、ポン菓子の加工サービスというのを行っています。
「ポン菓子の加工サービス」
この言葉だけで、「あぁ、アレね」とわかる人はだいぶ田舎&昭和の偏差値高めと思われます。ご存じないであろう大多数の方向けに説明しますと、ご自宅にあるお米(水で研ぐ前のやつ)を一升と砂糖をポン菓子屋(もしくは流しのポン菓子おじさん)へもっていくと、ドーンと膨らませて砂糖の蜜がけしてくれて、ゴミ袋くらいの大きな袋いっぱいのポン菓子を作ってくれるというサービスのことです。われわれポン菓子屋はその代価として加工賃を頂戴する仕組みになっています。
「自宅のお米を持参してゴミ袋いっぱいくらいの大量のポン菓子をつくる」
おいおい、どんだけポン菓子好きなんや、と思われるかも知れません。
でも当店には毎日毎日各ご自宅からお米が持ち込まれ、毎日毎日ポンポンポンポン加工サービスを行っています。
これは決して、地元西条市民が異常にポン菓子好き、という訳ではありません。ここには、日本人ならではの「もったいない」そして「おもいやり」の精神が隠されているのです。
ポン菓子の加工は一年中その需要があるのですが、例年10月~12月が突出して需要が高まります。それはなぜか?答えは、「新米ができたから」です。
新米ができると、みな、新米を食べ始めます。でも手元には去年のお米が残っている(いわゆる古米)。当たり前ですが、捨てるわけにはいかない、お米を捨てるなんてバチ当たりですからね。そこで、「そうだ!ポン菓子にしてもらおう!」となるわけです。で、自宅のお米が大量のポン菓子となり、じゃあそれをすべて自家消費するのかというと、なかなかそれもしんどいので、小分けにしてご近所さんに配ったりするわけです。西条市は田舎なので農家さんも多く、よく野菜のおすそ分けを頂いたりします。そのお返しに、じゃあポン菓子を、という具合ですね。ポン菓子はもらってもあげても相手に変な気を遣わせないですからね。いや~、実に優れたお菓子ですね!
学生時代、北陸の金沢という街に住んでいました。
就職してからも金沢にいたので、なんやかんやで8年くらい暮らしてました。
住み始めて一年目の12月は北陸名物の「どんより曇天、ずっと晴れ間ナシ」に結構気持ちがやられた思い出があります。瀬戸内の冬は真逆で馬鹿みたいにカラッと晴れ続きですから、そのギャップに戸惑いました。それでも大学の裏山に市営スキー場があったこともあり、愛媛では機会のなかったウインタースポーツで北陸の冬を満喫していました。
金沢を離れてもう15年以上になりますが、よく思い出すのは「21世紀美術館」と浅野川河畔の風景です。休日の朝は足しげく21世紀美術館に通ってました。いまはどうなっているかわかりませんが、当時は無料で利用できるスペースがわりと広く設けられていて、自由に読める雑誌や本、それに到底自分では買えない北欧系のデザインチェアがドンドンと置かれていて、そこに座って本を読みながら気持ちの良い時間を過ごすことができました。
浅野川河畔は主に夕暮れ時。河畔にいきつけのラーメン屋があって、そこでラーメンすすった後、川べりを散策する。あの辺りは東山とか主計町のお茶屋街があって「金沢らしい」雰囲気を満喫できました。
いま、一応曲がりなりにもモノを作り仕事をするようになって、その手の専門教育を全然受けていないのに何とかやれているのは、あの時金沢で過ごした時間があったからだと思います。暮らしの中に、ある種の「お手本」のような雰囲気が溶け込んでいて、無意識のうちにシャワーのように浴び続けることができたのかなと。
そろそろまたシャワー浴びにいきたいなぁと思いますね~。冬は酒と肴が一段と美味くなる季節なんですよねぇ。
その後一週間、世界に通用するとかしないとか、
相対的に旧来の尺度が通用しにくくなってきている2020年。
これからどんな物差し振りかざして進むべきか考えていたのですが、
すでに年末繁忙に突入していてまぁまぁ疲れが溜まっていることもあり、
あんまり真正面から考えるのが面倒になりまして、
もう考えるのをやめようと。
どんだけ考えても変わっていくものは変わっていくし、
いちいちその変遷を追っかけててもキリがない。
で、今回至った結論がこちら。
「自分が持ちたい物差しをかっこよく掲げたらええやないか」
これは先日、カリスマバイヤーと呼ばれる「山田遊」さんの
オンラインセミナーを聞いててそう思ったんです。
(「カリスマバイヤーの言葉だから」が既に旧来的で権威主義的で
結局そこかい!みたいな話で恐縮ですが、腑に落ちたので仕方がないし、
若干自己弁護ですが、セミナーに参加するまで山田さんが
どんな人かも知りませんでした。ただの世間知らず。)
山田さんいわく、
「これだけ買い物の仕方が多様化、特にオンライン化著しい時代だからこそ、
実店舗を手を抜いてはいけない。お店の力を育てる最高の舞台なのだから。」
あと、「売れ筋も大事だけど、見せ筋をしっかりやらないといけない。
効率よく小銭を稼ぎにいくだけではなくて、今こそ、大きな感動的なホームランを打たないといけない」
「なるほど、これやな。」と思いました。
敵も味方も関係なく、スタンドにいる大勢のお客さんもその場にいるみんなが
感動して言葉を失うようなビッグアーチを描く。
そこには尺度の新旧とか変遷とかそういう小賢しさはなく、
ただただ感動した記憶だけが残る。
なかなか、そんな世間の耳目を一網打尽にできるようなビッグアーチは難しいですが、
そのサマに、気づき、興味を持ってもらえるように
じゃんじゃん打席に入って物差し振っていきたいと思います。
時節柄、ヘルメットに加えてマスクもしっかりつけて挑みます。
第3波、愛媛もずいぶん増えました。皆様くれぐれもご自愛のほどを。
他人から聞いたハナシなのですが、
とある会社で今年のお歳暮を地元のええものセレクションで送ろう!
ということになったそうで、担当の方ががんばって地元のええものを集め、
さっそく役員さんに提案したところ「そんな世界に通用せんようなもんはダメだ」と言われ、
結局ボツになってしまったんだそうです。
まぁどのような基準での「世界に通用しない」なのかも定かでありませんし、
そもそも贈り物って、その贈り主の意図や、贈る相手の趣味嗜好によってセレクトは変わってきますから、
まぁ今回の案件は詰まるところ、単に相性がよくなかっただけなんだと思います。
企画が悪いわけでもないし、担当の方や役員の方が悪いわけでもない。
でも個人的には結構印象に残った話題でして、「世界に通用するってどういうこと?」と
改めて考える良い機会になりました。だって、通用しないよりはしたい、と思っているので。
ということで、
まず、単純に日本を飛び出して外国で流通してれば、「世界に通用した!」なのか?
う~ん…、そんな安直なもんではない気がする。
向け地や商材にも依りますが、輸出障壁はそこまで高くないし、
通用するかしないかを担保する基準ではないと思う。
じゃあ、ハイエンドに愛されるかどうか、とか?
わかりやすい例だと星付きレストランのシェフ絶賛!とかNY5番街のブティックで取り扱われている!とか。
これはまぁ、「世界に通用する、しない」の一つの指標といっても差し支えないと思います。
僕たち消費者自身も、そういったブランドに対しては「ブレない確固たる指標としての役割」を
期待しているところもありますしね。でも、あくまでも一つの指標に過ぎないです。
30年前のバブル時代とかだったら「それこそが唯一無二の正しい指標!」
みたいな雰囲気が支配的だったかも知れませんが、
地方回帰とかミニマリズムとかニューノーマルが浸透し始めてしている2020年においては、
少し古臭さすら感じてしまう指標ですよね。
インターネットを介することで、世界がとっても近くなり、
いつでもどこでも誰にでもアクセスできてしまうこの時代においては、
かつての「エリア」とか「階層」というわかりやすい次元でモノの価値を測ることが
本当に難しくなってきていると思います。
モノを作るときには、まず設計図が必要です。
その設計図を支える不可欠な要素は物差し(測ること)です。
物差しは自分たちがモノを作る際に必要ですが、
お届けする相手(お客様)の志向や距離感を測る際にも必要です。
その物差しの尺度が、昔に比べてものすごーく細分化されてきるし、ふんわりしてきたように感じます。
「旧来の尺度に縛られなくてもいい」というメリットもある反面、
その自由度の高まりをうまく尺度化していかないといけないし、
いまやっている仕事はその尺度を作るためにやっている、といっても過言ではないかも知れません。
この辺、もう少し自分自身も考えを重ねてみたいので、
また来週もこの話題で行きたいと思います。
巷間、コロナが急速に再燃してきましたね。
明日からの三連休、お互いくれぐれも自己防衛に努めましょうね。
ポン菓子の食べ方考察
例えばポッキー。
一本ずつ食べるのがまぁポピュラーとは思いますが、
一度に2本とか3本とか、たまには勢い贅沢に10本とか
バリンボリン言わせながら食べた経験がある方も少なくないと思います。
例えばポテチ。
一枚ずつ食べるのがまぁポピュラーとは思いますが、
二枚を逆さに重ねて「アヒル」とか言いながら食べた経験がある方も少なくないと思います。
翻って、ポン菓子。
ここでは昔ながらのフツーのパラパラした状態のやつに絞ってハナシを進めます。
(ウチのはキューブ状なので話が思うように進まないので。悪しからず。)
まずは、左小脇に袋を抱え、右手で適量をつまみ、口に運ぶ。
これがオーソドックスなスタイル。
次に、器にとりわけスプーンですくって食べるというスタイル。
手も汚れないし、適量の粒を頂けるので、わりとスプーン派は多い印象。
でも個人的には、すこし駄菓子感が薄れるのであんまりやらないです。
準備片付けが面倒かな。ただ、ミルクやヨーグルトを入れて、
ちょっとシリアル軽食風に頂くのはおススメです。
市販のフルグラとかにポン菓子混ぜると食感にバリエーションが出ていい感じになります。
お行儀の悪いスタイルでいうと、
右手で袋の開封口の上端を持ち、左ではおしりの方の上端をつまんで、
顔を斜め上に向けた状態で口を開けて、ざらざらと流し込む。いわゆる一気食い。
中身が残り少なくなった時にも有効なスタイルですが、
むせやすいのでご年配の方や小さなお子さまには不向きです。
他、食べ物で遊ぶとバチが当たるので要注意ですが、
テーブルの上に一粒一粒並べていって、ドミノ倒しのような雰囲気を味わいつつ一粒ずつ頂く食べ方。
などなど、その日の気分や状況によって多彩な食べ方がポン菓子は可能です。
他にも、「こんな風に食べてます!」なご意見ありましたらどしどしお寄せくださいませ。
こういうのアーカイブするのもいいかも知んない。
アメリカの植物生理学者、植物学者、教育者、
そして「ポン菓子の生みの親」。
1862年ミネソタ生まれ。スウェーデン系アメリカ人の移民の子。
父親の後を追って農業に従事するも、程なくして学業の道へ。
1897年、ミネソタ大学において植物生理学修士号を取得。
次いで、遊学先のミュンヘン大学で博士号を取得。
帰国後、コロンビア大学の植物標本館の学芸員となる。
そして運命の1901年。
でんぷん質の結晶核の中に自由水があることを探るため、
試験管の中に米を入れて熱していたところ試験管が破裂。
研究実験には失敗したものの、
中に入れていた米が膨化(ポンになること)していることを発見。
アレックスが発見した穀物膨化食品は、
当時の食品大手クエーカーオーツ社の目に留まり、
瞬く間に、新しい朝食用食品として全米に広まる。
1904年にはセントルイス万国博覧会へ出品。
会期中に25万パックのセールスを記録。
彼はそのキャリアを通じて、
穀物に関わる15,000以上の実験を行い、25の米国特許と外国特許を取得。
1943年、80歳でその生涯に幕を降ろす。
そして、67年後の2010年。
ひなのや玉井がポン菓子を作り始める。
(今回はひなのやの創業がハナシのオチです)
27歳で会社を辞めて、実家に戻ることになった時に上司に言われた言葉。
「帰れる場所がある奴はええなぁ」
その時は、単に「嫌味言われちゃったな~」くらいにしか思ってなかったのですが、
いま振り返ると「この町がぼくのふるさとです」と言える町があることは、
とてもありがたく恵まれたことなんだなぁと思います。
ウチはご存じのように、
その土地の資源やら歴史的背景やら人々の営みやらに頼りながらお商売をさせて頂いていますので、
「帰れるまちがあったこと。そしてそのまちの資源で日々の糧を得られていること」、
ただただ「まち」の恩恵に与かる日々です。
そんな、この「まち」もご多分に漏れず、かつてのような人通りはなく、
人の流れは外部資本の郊外店やネットの世界に流れています。
日曜の午後の駅前通りなんて、
「本当に吹き抜ける風が見えるんじゃないか?」と錯覚するくらいに閑散としているときもあります。
それについて「さみしいか?残念か?」と問われれば、
もちろん、「いいね!」と思う状況ではないですが、
これもまた時代の流れで仕方のないことだと思っています。
時代が変われば雰囲気も変わるし、人も変わる、まちも変わる。
時代の流れは止められないし、それに真正面から抗うほどの気力も体力もありません。
でも、時代に流されるにしても、ただただ流されて「漂流」はしたくない。
ただ流され漂流しながら衰退していくような「まち」は全然魅力ない。
これは本当に残念なことです。
だから、文字通り水泡に帰すだけかも知れないけれど、
せめて泳ぎたい方向に向かってバタ足したい(だれかビート板貸してくれませんかね)。
そんな水泡を可能な限り世界の多くの人に知ってもらうことが、
「ここになかなかええまちがありますよ!」というアピールになって、
ひなのやがまちに恩返しできる唯一の方法かなぁと思いながら、
今日もお店のシャッターを開けています。
世の中はそろそろ受験シーズンですね。
来春にはこのまちで育った子どもたちが巣立っていくわけですが、
その子たちが将来、いろいろあって田舎に帰ってくることになった時にも
いつも通りシャッターを開けていたいですね。
まぁ、まずはしっかり受験頑張れ。